ゆきの工房・ノベルのイクシア・EXシリーズ:サヤ外伝2

ノベルのイクシア
EXシリーズ
サヤ外伝2
掲載日:2019/07/01
著者:黄金のラグナデーモン108世 様
覇堂神社を旅立ってから、どれくらいの歳月が過ぎたろうか?



「風刃!」


夕陽で赤く染まった空の下、濃い緑色のトンボの魔獣が風の刃で真っ二つに切り裂かれて絶命した。
トンボと言っても人間の大人一人くらいなら楽に抱えて飛べそうなサイズである。
鼻を刺すような嫌な臭いを放つ黄色い体液が飛び散り、サヤは思わず顔をしかめた。


(流石に数が多すぎます……)


当初襲って来たのは3匹だけだった。
それくらいならば倒せると踏んだが、一匹目を倒すや否やトンボは耳障りな金切り声を上げ、それを聞きつけた仲間が援軍に駆け付けてきたのだ。



その時点ではまだ逃げを打つことも出来たが、彼女はその機をふいにしてしまった。


倒しても倒しても増援を呼ばれ続けた結果、今ではサヤの周りを十数匹のトンボが高速で旋回していた。
風のイクシアが弱点のようだが、サヤはまだ複数の敵をなぎ払う技を習得してはいなかった。


覚悟を決め、せめて一匹でも多く道連れにしようと拳を握り締めた瞬間背後で液体がぶちまけられる音がした。



振り返ると、先ほどまでそこになかったはずの黄色い染みと一人の人間の姿がそこにあった。


それは右頬に大きな傷のある老人で、両手で握りしめた日本刀には新鮮な黄色い体液が付着していた。


「助太刀するぞ、お嬢ちゃん」


その老人へ3匹のトンボが上空から襲い掛かった。


「ふん!」


それに応じるように老人も飛び上がった。
するとサヤでも見切れぬほどの速度で刀が閃き、トンボの羽が宙を舞う。
飛行能力を失った魔獣達はその速度のまま大地に激突し、頭を潰した。



「ワシは身体能力に特化した超越者でな。風だの火だのは使えんが、単純な力やスピードならばそうそう遅れは取らんわい。こんな風にな!」


そう言って背後から襲い掛かった魔獣の眉間に左肘を食らわせ、ひしゃげさせる。


「凄い……です」

「まあ、今のはほんの余興じゃ。さあ、残りも片付けようかのう」

「……はい!」



その後魔獣が全滅するまでに1分もかからなかった。




「あの……あなたは?」

「そう言えば自己紹介がまだじゃったのう。ワシは白井(しらい)ギンゾウ。この先の街で退魔士をやっておる者じゃ」


彼はトンボたちの魔結晶を拾い集めながら自己紹介をする。


「私はサヤ。覇堂サヤです」

「おお、名門・覇堂家の娘が旅をしとると言うのは風の噂で聞いとったがあんたが……こりゃあ会えて光栄じゃわい」

「大袈裟ですよ」

ギンゾウの応対にサヤは少しはにかんでみせる。




「マネーは折半でいいかのう?まあ少しくらいならそちらに多く譲っても構わんが……」

「いえ、危ない所を助けてもらったのですからむしろ貴方の方が多く受け取るべきかと……」

「ほっほっほ。流石にそこまで欲深くはないわい。よかったら街まで一緒に来るかね?」

「はい」






10分ほど歩いた先に目的の街はあった。



クリスタルシティ。



広大なマローサ湖とそれを取り囲む森林の側に位置するこの大都市は、比較的対魔戦争の被害が少なかった街としてサヤの耳にも入るほど有名である。



「綺麗……」

丘の上から名前の由来となった日光を受けて水晶のように煌めく湖面を見て、サヤが感嘆の声を漏らす。
長い事旅をしてきたサヤだったが、ここまでの絶景を見たのは初めてであった。


「昼だけでなく、夜の湖もそりゃあ綺麗なもんじゃぞ。夜空をそのまま写し出してのう……おっと長話はじじいの悪い癖じゃのう」

「そんな事ないですよ」






この都市は数十メートルはあろうかという巨大な壁に囲まれていた。

そして入り口のゲートには斧を持った屈強な大男と無手のポニーテールの女性が立っていた。

「よお、じいさん。可愛い娘を連れてどうしたんだい」

「ただの旅行者じゃよ」

「ようこそクリスタルシティへ。ここはいい街よ。きっと気に入るわ」





「あの2人、退魔士ですね」

「流石じゃの。重要な場所じゃから、退魔士協会から多くの退魔士達が派遣されているんじゃよ。ワシみたいにもともと住んでいる者もおるがの」

「ギンゾウさんはどういう理由でここに住んでいるんですか?」

「そんな大層な理由じゃないぞ。ワシはこう見えて4人兄弟の末っ子でのう。長男が家を継いでワシは旅に出たんじゃよ」

「ギンゾウさんも家を?」

「そうじゃ。そしてここで婆さんと出会って住む事になった、それだけの事じゃ」

「奥さんがいるんですか?」

「既にお迎えが来てしまったがのう。昔は街でも評判の美人じゃったよ。生まれた娘も若い頃の婆さんに似てそりゃあ綺麗じゃったよ」

「……」

「そう言えば、覇堂家では当主夫婦と長男が対魔戦争で亡くなったんじゃったのう。ワシもあの時に兄を亡くしたというのに無神経な事を言ってすまんかったのう」

「あ、いえ……気になさらないでください。もしかしてさっきの……家を継いだという?」

「そうじゃ。幸いその息子夫婦が跡を継いだとの事じゃが……それはそうとお前さん、宿のあてはあるかのう?」

「宿ですか?適当に決めようと思っておりますが……」

「この街の宿はどこも設備もサービスも優れておるが、その分値が張るぞ。相場が……」



ギンゾウの口から出た値を聞いて、サヤは思わず眉をひそめた。
魔獣を倒し続けてきた事で、それ相応の蓄えはあるが浪費は避けたいところだし、彼女自身あまり贅沢を好むクチではない。



「気が進まぬようじゃな。それじゃあワシのあばら家へ来るかね?大したもてなしは出来ぬが、お茶くらいは用意しよう。それともコーヒーの方が好きかの?」

「いえ、お茶でいいです」




高層ビルが立ち並ぶいかにもな都会を歩いていくと、それらとは不釣り合いにさびれた建物が姿を現した。

「閉園した保育園をワシが買い取って、使っておるんじゃよ。多少改装したがの」




敷地内では大勢の子供たちが思い思いに遊んでおり、ギンゾウの姿を見つけると笑顔を浮かべて駆けよって来た。


「じいちゃんおかえりー」

「そのひとだれ?」

「きれいー」

「ただいまみんな。今このお客さんを出迎えるから相手するのはちょっと待っててくれるかのう」

「ああ」

「いいよー」



「……あの子達は?」

「被害が少なかったといっても、犠牲者がいなかったわけではない。ワシはあの戦争で親を亡くした子供達を引き取って育てているんじゃよ」




建物の中へ入ると青いロングヘアの女性がにこやかに出迎えてくれた。

「ギンゾウさん、おかえりなさい!」

「おお、サユリさん。今帰ったぞ」

「その人は?」

「ここに泊まる客人じゃよ。まあその辺の話はゆっくりとな。ワシは子供たちの相手をしてくるから、すまんが彼女にお茶を出しておいてくれんか」

「わかりました」


そう返事をしてサユリと呼ばれた女性は台所があると思しき方向へ姿を消した。






外を見ると先程同様子供達がギンゾウの下に集まって来ていた。


「じいちゃん!いつものあれやってよ!」

「よしわかったわかった。みんなは危ないから離れておるんじゃぞ」


言いながらギンゾウはせがんでいた子供を抱えて跳躍した。
その高さは10メートルにも及んでいただろう。

「面白ーい!」

「次は俺―!走って走って!!」

「よしよし」


今度は別の子供をおぶって走っている。
先程の戦闘で見せたものには及ばないが、かなりの速度である。


「はやいはやーい!!」

「次は私―」

「僕だよー」

「ほっほっほ、順番じゃよ」


高齢ながらギンゾウは少しも疲れた様子を見せない。
身体能力に特化しているというのは伊達ではないという事か。







「お茶が入りましたよー」


振り返ると、サユリが盆の上に二つの湯飲みを持って現れる。





「あなたがギンゾウさんの娘さんなんですか?」

来客用のテーブルで茶をすすりながらサヤが尋ねる。

「いいえ、私はその娘……つまりギンゾウさんの孫の友達です。その縁でギンゾウさんの運営するここで働いているんです」

「そうなんですか。そのお孫さんはどこに?」

サヤが何気なく口にした瞬間、サユリはきょとんとした。


「何も聞いていないんですか?」

「奥さんと実家のお兄さんが死んだという話は聞いていましたが、それ以外には……」

「そうですか、ならばそれ以上は私の口からは……」

「姉ちゃーん腹減ったー」

「ごはんごはんー」


陰鬱な空気を吹き飛ばすような無邪気な子供たちの声が響いた。
遊びの時間が終わったのかギンゾウ共々帰って来たのだ。


「すまんが、宿代代わりに配膳を手伝ってくれんかのう?」

「喜んで」





「はあーっ、疲れました……」


夕食を終え、子供達を風呂(浴場は教室の1つを改装して作ったらしい)へ入れ、寝かしつけたところでサヤはようやく解放された。

沢山の子供たちのお陰で賑やかな食卓はサヤには新鮮であった。
……その分、どっと疲れたが。



今はここへ来た時にお茶を飲んだテーブルで、ギンゾウ、サユリと世間話に興じていた。



「すまんのう。配膳だけを頼むつもりだったんじゃが……」

「いえ、気にしないでください。それにしても子供の世話とは、魔獣との戦いより大変なのですね……」

「慣れていないものからすればそうかもしれんのう」

「いつもお二人だけでこれを?」

「いや、たまにワシの飲み友達やその家族、サユリさんの友達が手伝ってくれたり、最近は臨時でバイトを雇う事もある」

「そうなんですか」



言いながらサヤは外を見た。
遠くに見える街の放つ明かりが天に瞬く星々のように見えた。



「綺麗ですね」

「そうですね。でもこの街は綺麗な見た目に反して、事故や事件が絶えないんですよ」

「そうなんですか……」

「……大きい街ならば悪い奴も増える。当たり前の事じゃな」

ギンゾウが憤りの混じったため息を吐く。




「……あの、よかったらこの街の退魔士さんたちに力を貸してくれませんか?」

「これ、関係のない人を巻き込むものじゃないわい」

「ですが!」

「どういう事ですか?差し支えなければ事情を聞かせてください」

「実は……」




サユリの話では今この街では住民の失踪が相次いでいるというのだ。
この半年ほどの間に被害者は既に50人以上にまで膨れ上がっているらしい。


「マサヤもある日いなくなってしまって……」

「その……マサヤさんとは?」

「サユリさんの恋人じゃよ……よく働いて、子供達にも慕われて……ワシにとっても息子のような存在じゃ」




ふと、クローバーヒルでの一件を思い出した。
あの時は大勢の人々が非道な人体実験で苦しめられていた。



「……わかりました。私に出来る限りの事は致しましょう」

「ありがとうございます!」

サユリの顔がぱあっと輝いた。


「嬢ちゃんがその気では仕方ないのう……」

ギンゾウは渋々と言った様子で承諾した。






翌日。早速調査に乗り出したサヤはギンゾウやサユリからこの街や事件の事などを詳しく聞いた。

被害者達は性別・年齢・住んでいる場所など特にこれと言った共通点は見られないらしく、それなりにある防犯カメラにも手掛かりは何も映ってはいないらしい。

この街では行方不明者が二桁に上った辺りから、昼も夜も退魔士達が交代で街の巡回と東西南北の門の警備を行っている。
(ちなみにサヤたちが入ったのは西側の門である)

夜間はそれに加え民間ボランティア達が壁の上に設置されたサーチライトで上空の見張りまで行っているにもかかわらず、犯人らしい人間の姿を見た者は一人としていないという。

そして被害者が30人を超えたところで街が事件解決に莫大な懸賞金をかけ、50人目を越えたところで更に倍額にしたというが、やはり事態は膠着したままだとの事。


「バイトをたまに雇うようになったのもこの警備のせいなんじゃ」


「姿を消せる魔獣でもいるのでしょうか?」


対魔戦争以降、魔獣が街を襲うという事例はほとんどなくなっているが例外が無いとは言えない。


「もしそうじゃとしたらお手上げじゃよ。超越者の線なら少なくともこの街にはそのような者はおらん筈じゃ」

「そう言えば、ギンゾウさんは巡回や警備には参加しないのですか?」

「ワシは昨日非番だったんじゃよ。今日は午後から南門警備のシフトが入っておるがの」

「他に魔獣が侵入しそうな経路はないのですか?」

「この街で処理された下水を湖へ放流する地下水道があるが、湖側からの入り口には魔獣避けに退魔の香炉の強烈な奴を仕掛けてある。魔王や魔神でもない限り、入っては来れないじゃろう」



魔王が入って来たならばこの程度の被害では済まないだろうし、魔神ならばそもそもそんな場所からコソコソ入り込んだりはしないだろう。



「あの、今日の南門の警備、私も手伝っていいですか?」

「……この街の退魔士の中に名門・覇堂家のお嬢さんが警備に加わるのを断る理由がある者がいるとは思えんのう」




ギンゾウはこの日日付の変わる直前までのシフトで、2人ともサユリの作った弁当を持っての警備となった。

「あの……ギンゾウさんの娘さんってもしかして……」

「……夫やワシの孫諸共魔獣に食われたんじゃよ。対魔戦争の時にな」

「……」

「気にする事はない。このご時世には星の数ほどある話じゃよ。今のわしらのすべきことは1匹でも多くの魔獣を倒し、1人でも多くの人々を救う事だけじゃ」

「……そうですね」





この日は結局何も起きなかったが、数日後。
新たな行方不明者が出た。


「本当にどこから出入りしているんでしょうか?」

「嬢ちゃんの方でも収穫無し。他もこれまで通り。どうなっとるんじゃろうのう」



それから更に数日後。

サヤはギンゾウの孤児院のテーブルの上にこの街の地図(のコピー)を広げ、そこに印や文字を書き込んでいた。

「何してるんですか?」

「これまで失踪した人たちが最後に確認されたポイントや時間を調べているんです。何かあるんじゃないかと思って……」

「そんな事は無いと思いますけどね……あれ?」

「どうかしましたか?」

「この時間と場所……」


サユリの次の言葉を聞いた瞬間、サヤの表情が一変した。

「……サユリさん、覚えている範囲でいいですから確認させてください」






その夜、ほくほくとした笑顔でギンゾウが帰ってきた。


「お嬢ちゃん!朗報じゃぞ!」

「どうしたんですか!?」

「実はの、かねてより非番の時を使って元凶と思しき魔獣を探しておったんじゃが、ついに見つけたんじゃよ!」

「そうですか」

「これから退治に行こうと思うんじゃが、お嬢ちゃんも来るかね?ギャラは弾むぞ」

「報酬はともかく、元凶の魔獣退治となれば同行しない理由はありません」

「そうか。なら嬢ちゃんにはこれを渡しておくぞ。もしもの時は使ってくれ」





満月の明りの下、ギンゾウとサヤは川辺を歩いていた。
マローサ湖にはそこに繋がる川がいくつかあり、その川の1つの上流に魔獣の巣があるというのだ。


「ほら、あいつらじゃよ」

「あれは……」


その周辺の木の太い枝や幹には何匹もの巨大なトンボが羽を休めていた。
それは紛れもなく先日サヤがギンゾウと出会うきっかけとなった魔獣であった。


トンボは水中に卵を産むが、この魔獣の場合でもそれは同じらしい。
ボウリングの玉ほどの大きさの半透明な球体が水中にいくつもあり、その中の1つが裂け、中から周りのものよりは小さいが、同じような魔獣が出てきた。

大きさ以外の周りのものとの違いは羽の有無だったが、陸に上がった途端背中を内側から裂くようにして羽が生えた。


「軍隊トンボというんじゃ。そしてあれがリーダーの指揮官トンボじゃ」


老人が指さした先に赤紫色の一際大きなトンボがいた。



血で濡れた樹木や草木に衣服の切れ端、腐敗した肉片や折れた人骨の他に、まだ『真新しい人間のパーツ』も見られた。
それ以外にも魔獣のものと思しき肉片や骨、血痕も見られた。

トンボは非常に獰猛な性格をしているというが、この魔獣達も同じか、それ以上に獰猛な性格の持ち主のようで自分より弱い魔獣さえも餌食にするようだ。


「でも、どうして気づかれなかったんでしょうか?」

「嬢ちゃんも見たじゃろ?こいつらは中々のスピードで飛行する。それで警備の目を掻い潜ったんじゃろうて」

「そう……ですね」



サヤのどこか気のない応答を尻目にギンゾウはサヤから刀を引き抜く。

「……雑魚は全部ワシが引き受ける。嬢ちゃんは親玉を仕留めてくれるか?」

「大丈夫ですか?」

「老いぼれと思って甘く見るでない。今日はわしのとっておきを見せるぞ……フルブースト!!」


その瞬間、老人の全身から強力なエネルギーが溢れ出した。
刹那、老人の姿が消え、ほぼ同時にトンボの何体かが両断される。


不意の敵襲にトンボ達も飛び立つが、何が何だかわからないうちに次々に黄色い体液を撒き散らしながら墜落する羽目になる。


(凄い……)

単に身体能力が上がったというだけでは説明がつかないレベルの攻撃を異常な速さで繰り出している。
単純な速度だけなら、あるいは兄以上かもしれない。


(瞬時に複数回の行動を可能にするイクシアの存在を聞いた事がありますが、もしかしてあれも……)


と思いながらサヤも動転している親玉に風の刃を投げつける。
羽を狙ったが、狙いが逸れて腹部を鋭く切り裂くに終わった。


その時には既に飛んでいるトンボは1匹だけになり、ギンゾウの姿も視認できるようになった。


同時に最後のトンボが部下をすべて失った怒りの金切り声を上げながら高齢の退魔士に突貫していった。



「危ない!」

サヤが老人を突き飛ばすのと、その頭があった場所をトンボの顎が通り過ぎるのは間一髪のタイミングであった。
狙いの逸れた顎が大木を捕らえ、呆気なく切断する。

「フルブーストを使うと、効果が切れると同時にショック状態となりしばらくの間動けなくなるんじゃよ……」

「それであの時……」

その時、2人の背後の茂みがガサガサと音を立てた。
振り返ると、熊の胴体と狼の頭と尾を持つ魔獣がそこに立っていた。



「ベアウルフ……」

主に森林に棲む力自慢の魔獣。

「全く予想外のタイミングで招かれざる客が来たわい。嬢ちゃんはトンボをしっかり仕留めてくれよ」

「わかりました」


上空まで飛び上がり急旋回して戻ってきた指揮官トンボの口からレモン色の液体が吐き出される。
二人がその場を飛びのいて空振りとなった液体は地面からしゅうしゅうと白い煙をのぼらせた。



指揮官トンボは地面すれすれで向きを変え、己の体を傷つけた憎い銀色の髪の女に迫る。


「私のイクシア……見せてあげます!」




パァン!!

夜の森に乾いた音が響いた。


猫騙。
見た目は少々格好悪いが、人間でも魔獣でも不意に奇妙な行動をとられると硬直するという性質を突くイクシアだ。



それは目の前のトンボも例外ではなく、その場で滞空しはじめた。
その隙を逃さず、サヤは風刃を放つ。


風のイクシアは魔獣の頭を斜めに切断し、そのまま右の羽を切り飛ばした。
地面に落ちてからも部下とは違う、毒々しい紫色の体液を流しながらしばらく手足や残った羽をばたつかせ、顎はがちがちと鳴らしたが確定した運命の前では何の意味もない抵抗にすぎず程無く事切れた。



「やったのう嬢ちゃん!」

ギンゾウが喜びに満ちた表情で駆け寄ってきた。
その背後には胴体を真っ二つにされたうえに、首をはねられた魔獣の死骸が横たわっていた。


「それにしても、ここへ来る前に嬢ちゃんにキュアショックを持たせておいたのは正解じゃったわい」

「……ええ、あれがなければ2人ともやられていました」

「お嬢さんのお陰で、随分マネーが稼げたわい。街からの討伐報酬も貰えるしのう。明日はみんなでご馳走じゃ。分け前も弾むから……って嬢ちゃんは報酬に興味無いんじゃったな」

しかし、サヤの表情は勝利の余韻に浸ったものではなかった。


「……この事件の元凶はトンボたちじゃ……いいえ、魔獣ではないんです」

「……何を言っとるんじゃ?」


サヤはギンゾウに向き直る。
厳しい視線を向けながら。


「どんなに警戒しても見つかる筈が無かったんですよ。元凶は警備する側の中にいたんですから」

「……ワシがやったとでもいいたそうじゃな」

「力やスピードに特化した超越者のあなたなら被害者を気絶させ、彼らを担ぎながらでも目にも止まらぬ速度で建物の上など防犯カメラに映らないルートを移動する事が出来たんじゃないですか?」

「そんな、それだけで……」

「サユリさんに確認しました。被害者が最後に確認された場所と時間……どれもあなたが巡回していた時刻・ポイントと一致しました」

「……じゃがどうやってこの街からここまで来たというんじゃ?いくら速く動いても誰にも気づかれずにあの警備網は突破できんわい。ワシのジャンプでもあの壁は越えられんしのう」

「街の地下に広がる地下水道を使ったんでしょう?街中にある入り口の蓋もあなたの怪力なら開けられたでしょう」


ギンゾウはサヤの追及に反論しない。
ただじっと彼女の目を見つめたままだ。



「過去に魔獣の仕業に見せかけて強盗殺人を働いた人間達を見た事はありましたが、退魔士の中にその様な事をする人間がいるとは信じたくありませんでした」

「……証拠はあるのかのう?いくらなんでも証拠もなしにそんな事を言われるのは心外じゃ」

「トンボ達の『食べ残し』の中に刃物で付けられたような傷のある足がありました。その刀で付けたのでしょう?万が一にも逃げられないように」


逃走手段を奪ったうえで、生きたまま魔獣に食わせる。
残虐極まりない殺し方だ。


「刃型を調べればきっと一致しますよ」

「……そうか」

「理由を話していただけますね?」

「何の事は無い。金じゃよ」

「お金?」

「あの子達を食べさせるだけじゃなく、時には医者に見せたり玩具なんかも買ったりしなければならん。少ないがサユリさんの給料もあるしのう」

「でもそれがあのトンボ達とどういう……」

「お前さんには言ってなかったがのう、軍隊トンボは人肉を食らうほど繁殖しやすくなるという特性があるんじゃよ」

「まさか……」

「そうじゃ。あの子達を養う為の金を稼ぐために奴らに人間を食わせ、繁殖を促し、ワシが狩る……そう言うカラクリじゃ。この辺では上位のマネーに化ける連中を増やせば効率よく稼げるからのう」

「そんな事の為に何人も……!?」

「対魔戦争時にワシの娘夫婦と孫が死んだことは話したのう」

「まさか、今回の被害者達が……?」

「いや、魔獣に食われての死である事は事実じゃ。じゃがの……」


そこから会ってからほぼずっと、穏やかなものであり続けたギンゾウの声に明確な憎悪と怒りがこめられ始めた。


「お前さん、ワシがこいつらに食わせてきた連中がどういう連中か知っとるかの?」


サヤは首を横に振る。


「暴力団員に、陰湿なイジメの加害者、重罪を犯しておきながら未成年という理由で大した罰も受けずのうのうと生きておる者……どいつもこいつも到底生きるに値するとは思えぬ者ばかりじゃよ」


今度は、ギンゾウの表情が怒りに満ちたそれに変わった。
鬼の形相、とはこういうものを言うのだろう。


「何故……ワシやあの子たちの家族が死んで、このような連中が生き残るんじゃ!?」

出会ってからずっと穏やかな態度であったギンゾウが初めて声を荒げて叫んだ。







「……マサヤさんもあなたが手にかけたんですね?」

「あやつはワシがトンボ共に食わせた中でも最底辺のクズじゃったよ!あやつは……あの悪魔は施設の女の子達を夜な夜な弄んでおったのじゃ……!!彼女達の無知に付け込んでな……!!」


それだけで、サヤには何が起きたのかおおよそ想像がついた。

人のする事とは到底思えない……断じて許すべきではない悪行であるし、家族同然に思っていると言った人間の背信行為がいかに彼の心を傷つけ抉ったのかは察して余りある。
だが、それでもサヤの決意は変わらなかった。


「お前さんはワシの娘の若い頃によう似とる。手荒な真似はしたくない。ただ黙っていてさえくれればそれでええんじゃ。それで魔獣に襲われただけの事故としてカタが付く。証拠もその辺の魔獣が食べてくれるじゃろう」

「……たとえ悪人だとしても、退魔士でありながら人間を魔獣に与えるあなたを見逃す事は出来ません」

「……時には逃げる事も重要じゃと実家で教わらなかったかのう?年寄りや親の言う事には耳を傾けるべきじゃと思うぞ」

「それは正しいと思います。ですが、敵わない相手だからと言ってすぐ逃げ出すような人は退魔士を名乗る資格はありません」


サヤは拳を構えながら言葉を続ける。


「少なくとも、私の家族はその資格を持つ人達でした」

「……そうか。ならば仕方ない。ワシも覚悟を決めるかのう」

そう言って老人は収めたばかりの愛刀を鞘から抜く。



正直、正面からでは勝ち目は無いだろう。
だがそれでも、人を魔獣に食わせる非道を重ねるこの男を止めないわけにはいかない。







満月の下で、二人の退魔士の体が交差する。



川のせせらぎに交じって、骨が砕ける嫌な音が響いた。



銀色の髪が数本宙を舞い、月明りを浴びて煌めいた。




サヤの拳は老人の左胸に炸裂し、胸骨を砕いた。


一方老人の刀は彼女の体は勿論、衣服にさえ傷1つ付けてはいなかった。



「わざと……負けましたね?」

「もしお前さんが真相に気づき、ワシを見逃してくれなかった場合はこうするつもりじゃった……」


口から血を流しながら
恐らく折れた胸骨が肺や心臓に刺さっている。
外科手術も治癒のイクシアも効果が無いだろう。



「じゃが悔いてはおらんよ。これでワシも婆さんや娘夫婦、孫に会える……これでええんじゃよ……」



安らかな顔で老練の退魔士は息を引き取った。



サヤはその場で目を閉じ、両の手を合わせた。









「こんなにたくさん……本当に?」

「ええ……それがギンゾウさんの遺志ですから」


翌日、帰還したサヤは街から討伐報酬を受け取り、孤児院へ戻った。



サユリには『ギンゾウは魔獣と戦って刺し違えた』と説明した。
せめて、彼の名を貶めぬように。


知らせを聞いたサユリは涙こそ流さなかったが、その胸中は容易に察せた。
両親と兄を失った時の自分を見ているかのようだったから。




「ひとまずこのお金で人を雇ったりして頑張ってみようと思います。ギンゾウさんの知り合いの退魔士の方も協力してくれるそうですし」

「そうですか……」

「あのサヤさん、これを……」


サユリはそう言って棒のような物を差し出した。
それは形見として持ち帰ったギンゾウの遺品の日本刀であった。


「でもそれは……」

「名も無い刀だけど切れ味は良いって自慢してました……きっとギンゾウさんもあなたに持っていて欲しいと思うから……」

「わかりました」


「これからどちらへ?」

「ここから1週間ほど東に行った所に復興中の市街地があると聞きました。そちらへ行ってみようかと思います」

「そうですか。お気をつけて……」

「ありがとうございます」





最低限必要な分だけを残し、所持金は全て置いてきた。
理由はどうあれ、あそこの主であり、稼ぎ頭であったギンゾウを手にかけてしまったサヤのせめてもの償いであった。



「もしかしたら、薄々真実に気付いていたのかもしれませんねギンゾウさんの事も、私の事も」
















そして1週間後。
サヤは目指した場所に着いた。











この世の地獄に。






アスファルトには至る所に亀裂や陥没の跡が見られ、男か女かも判別できない程に焼け焦げた死体や様々な骨がそこら中に散らばっていた。





「酷い有様ですね……どこかに生存者はいないでしょうか?」





辺りを見回しながら歩ていると、地面に開いた穴から蜘蛛のような魔獣が一匹飛び出し、襲ってきた。



カウンターの灯篭を一発入れてやると、魔獣はあっけなく吹っ飛び、動かなくなった。




「この街は魔獣の襲撃を受けた?でも対魔戦争以降魔獣は鎮静化したはず……」




何か特別な事情がある。
そう判断したサヤは足を速める。









ふと血を流し、道端に倒れている男性の姿が目に入った。
無事ではなさそうだが、他の死体とは明らかに異なっていた。


(あれは……生存者……!?)




急いで駆け寄ってみると彼は息はあるものの、その外傷から死が間近に迫っているのはあまりにも明白であった。


(これはもう助からないかもしれない……)








あるいはサヤの持つ進化の核が引き合わせたのかもしれないこの出会いが、彼女と世界の行く末を左右する出会いである事を……

そして彼が老いた退魔士の形見を一時的に受け継ぐ事になる者だという事を、まだ誰も知る者はいなかった。