ゆきの工房・ノベルのイクシア・EXシリーズ:ある妹の物語
ノベルのイクシア
EXシリーズ
ある妹の物語
「そんじゃ出掛けてくるから。昼飯は外で食べてくるからいいや」
「わかった」
お兄ちゃんを見送った私は壁際のテーブルへと向かう。
昼は昨夜おすそ分けしてもらったカレーが残っているからそれにして、夜は……
日頃の感謝を込めて久々に奮発するのもいいかもしれない。
思えばあの日からずっとお兄ちゃんには助けられてばかりだ。
数年前 対魔戦争
私たち家族はこの街に住んでいた。
何の変哲もない街だったが、あの日までは平和で特に不自由のない生活を送っていた。
忘れたくても忘れられないあの惨劇の夜。
見た事もない化け物の大軍が私達の街に暴れ込んできた。
あの日たまたま家族で出かけていた私達はシェルターを目指して必死に逃げ続けたが、路地に逃げ込んだ。
そこまではよかったのだが、執念深い何体かが路地の前をうろついていて私達は袋のねずみになってしまった。
「クソッ!これじゃ出るに出られない!!」
化け物達を睨みながらお兄ちゃんが毒づく。
「こうなったら俺が囮に……」
「いや、それは俺の役目だ」
お兄ちゃんを制しながら立ち上がったのはお父さんだ。
「私も行くわ」
それに続いてお母さんも立ち上がった。
「夫婦そろって子供のために命を張る……か」
「ふふふ、似たもの夫婦って言われたことがあったけど、最後までそっくりね。私達」
「何言ってんだよ父さん、母さん。この中で一番足が速い俺なら一番逃げ切れる確率が……」
「黙って言う事を聞け。こういう時命を賭けるのは親と相場が決まっているんだ」
「あなたもレミも将来があるんだから、絶対生き延びなさい」
2人とも……何を言っているの?
「そんな……いやだよ……お母さん……お父さん……置いて行かないでよ……」
私はみっともなく泣きながら両親に縋りついた。
どんなにみっともなくたってよかった。
2人にはまだ生きていて欲しかったから。
「レミ、強く生きなさい。お母さんとの約束よ」
「レイジ、レミをしっかり守ってやるんだぞ」
2人が私とお兄ちゃんの頭を撫でながら言った。
「……どうしても行くのか?」
「……ああ」
「……わかった」
お兄ちゃんが諦めたような表情でうなずいた。
「チャンスは僅か。タイミングを間違えるなよ」
「お別れよ。レイジ、レミ」
2人が飛び出した瞬間、そこかしこからおぞましい雄叫びが響いた。
「レミっ、見るな!!」
「いやあああ!お父さあああん!!お母さああああん!!!」
それに合わせて、お兄ちゃんが腕で私の目を抑える格好で抱きかかえながら走る。
間も無く肉の切り裂かれる音、液体が飛び散る音がした。
こうして私達の両親は囮になって死んでしまった。
シェルターに着いてからも私はその日ずっと泣き続けた。
お兄ちゃんが頭を撫でてくれたのを、その手の感触を今で覚えている。
後に常連となるケーキ屋のお姉さんも一緒になって慰めてくれた。
この地獄を生き延びる事が出来たら、絶対食べに行こうって心に決めたっけ。
お兄ちゃんもここで友達が出来たんだよね。
何でも趣味が合うとかですぐ意気投合してたっけ。
今日も彼との約束があるって出掛けて行ったんだ。
そしてこの日から対魔戦争終結までシェルターでの生活が始まった。
最初の数日は食事が喉を通らなかった。
豊富とは言えない備蓄食料を生き残ったみんなで分けながらつつましく生きた。
私達と同じように家族など親しい人を失った人も大勢いた。
お兄ちゃんはよくお腹いっぱいになったって言って食料を多く分けてくれた。
そうやってどれくらいの時間が過ぎただろうか……
「生き残っている人はいますか!!?」
突如シェルターのふたが開き、日光と共に男の人の声が入ってきた。
魔獣達が街から去って行き、対魔戦争の終わりが告げられたのは食料が完全に底をついてから3日後の事だった。
この日までの生活で衰弱死したお年寄りがいた。
私達のように魔獣に親を食べられた挙句、3日間の空腹に耐えられなかった子供もいた。
私達は軍の人に救助され『幸運にも』生き残る事が出来た。
幸運と言えば、私達の家も無傷だったのも幸運と言えるだろう。
しかし対魔戦争が終わっても、すぐに平穏な暮らしは戻ってはこなかった。
ライフラインや交通機関などが魔獣の被害を受けたため、街は今すぐかつての生活が送れる状態ではなかったのだ。
生き残った人達の何人かは街を去り、それと引き換えのように様々な人たちがやって来た。
普通こういった被災地は立ち入り禁止になると聞いた事があるけど、今回の場合国中が被災地のようなものだし政府や軍も魔獣の攻撃でめちゃめちゃになってしまったから。手が回らなかったのだろう。
「へへへ、お嬢ちゃん。ちょっと俺達に付き合えよ」
数人の柄の悪い男が私を取り囲んでいた。
そう、『こういう人間』もこの街にやって来ていたのだ。
「い……いや……」
私は恐怖ですっかり動けなくなっていた。
「俺の妹から離れろ」
その時、いつも聞いている声が背後から聞こえた。
振り返るとそこには……
「お兄ちゃん!」
たった一人の肉親で、一番大切な人がそこにいた。
男達の1人が下品な笑みを浮かべて鉄パイプを構えながらお兄ちゃんに歩み寄っていった。
「すっこんでな『お兄ちゃん』。ケガするぜ?こんな風にな!!」
鉄パイプを振り上げるが、それより早くお兄ちゃんの右ストレートが男の腹にめり込んでいた。
カランカランと音を立てて鉄パイプが転がり落ち、男がお腹を押さえてうずくまる。
「そっちがその気なら、容赦はしないぞ!!」
敵が落とした鉄パイプを正眼に構え、お兄ちゃんが叫んだ。
「てめえらやっちまえ!!」
リーダー格らしい男の号令と共に残りの男たちがお兄ちゃんに飛び掛かる。
脇腹に、首にパイプを叩きつけ、槍のように胸を突いたりもした。
昔からお兄ちゃんは喧嘩が強かった。
昔私がいじめられた時もこうやって守ってくれたっけ。
あの時持ってたのは木の棒だったけど。
「く、来るな!!」
他のメンバーがあっという間に倒されるのを見た最後の一人……リーダー格の男が私を背後から捕まえ、喉元にナイフを突きつけた。
それを見たお兄ちゃんの表情がみるみる凍り付いた。
お兄ちゃんは無言で鉄パイプを地面に放った。
「よーし、そのまま大人しく……痛ででっ!!」
無防備に晒された男の腕に思いっきり噛みついてやった。
痛みで腕の拘束が外れ、ナイフが音を立てて地面に落ちる。
正直、気持ち悪かったので後で念入りにうがいをしたのをよく覚えている。
「レミ!伏せろ!!」
身をかがめるのと同時に鉄パイプが唸りを上げて私の頭上を通り過ぎ、男の顔面にクリーンヒットした。
男の鼻血と折れた歯の破片が宙を舞った。
「レミを可愛がってくれた礼は、まだ終わってないぞ!」
男は仰向けになって倒れるが、お兄ちゃんは更に5発ほど胴に追撃の踏みつけを加えた。
「怪我はないか?」
敵の頭目が完全に気絶した所で、両肩に手を置いて私の目をじっと見据えて聞いてくる。
「う、うん……」
「そうか……」
私の返事を聞いた時のお兄ちゃんの笑顔は今でも忘れる事が出来ない。
「あれ?私……寝ちゃってた?」
いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていたらしい。
時計を見ると、もうお昼近くになっていた。
今ではライフラインは復旧され、治安もかつてのようによくなり、街はかつての平和と活気を取り戻した。
「あれから本当に変わったなぁ……」
そんな事をつぶやきながら昼食用のカレーを温めようと立ち上がると、乱暴に玄関のドアが開いてそこからまだ帰ってこない筈のお兄ちゃんが血相を変えて駆けこんできた。
下を向いてゼエゼエと荒い息遣いをしながら、両膝を抑えている。
どこをどう見てもただ事じゃない。
そう思っていると落ち着いたらしいお兄ちゃんの口から信じられない言葉が発せられた。
「レミっ!大変だ!!街中に魔獣が溢れかえってる!!」
その瞬間、やっと戻りかけた私達の平穏な日常の全ては……あの忌まわしい対魔戦争の時のようにガラガラと音を立てて崩壊したのであった。
「わかった」
お兄ちゃんを見送った私は壁際のテーブルへと向かう。
昼は昨夜おすそ分けしてもらったカレーが残っているからそれにして、夜は……
日頃の感謝を込めて久々に奮発するのもいいかもしれない。
思えばあの日からずっとお兄ちゃんには助けられてばかりだ。
数年前 対魔戦争
私たち家族はこの街に住んでいた。
何の変哲もない街だったが、あの日までは平和で特に不自由のない生活を送っていた。
忘れたくても忘れられないあの惨劇の夜。
見た事もない化け物の大軍が私達の街に暴れ込んできた。
あの日たまたま家族で出かけていた私達はシェルターを目指して必死に逃げ続けたが、路地に逃げ込んだ。
そこまではよかったのだが、執念深い何体かが路地の前をうろついていて私達は袋のねずみになってしまった。
「クソッ!これじゃ出るに出られない!!」
化け物達を睨みながらお兄ちゃんが毒づく。
「こうなったら俺が囮に……」
「いや、それは俺の役目だ」
お兄ちゃんを制しながら立ち上がったのはお父さんだ。
「私も行くわ」
それに続いてお母さんも立ち上がった。
「夫婦そろって子供のために命を張る……か」
「ふふふ、似たもの夫婦って言われたことがあったけど、最後までそっくりね。私達」
「何言ってんだよ父さん、母さん。この中で一番足が速い俺なら一番逃げ切れる確率が……」
「黙って言う事を聞け。こういう時命を賭けるのは親と相場が決まっているんだ」
「あなたもレミも将来があるんだから、絶対生き延びなさい」
2人とも……何を言っているの?
「そんな……いやだよ……お母さん……お父さん……置いて行かないでよ……」
私はみっともなく泣きながら両親に縋りついた。
どんなにみっともなくたってよかった。
2人にはまだ生きていて欲しかったから。
「レミ、強く生きなさい。お母さんとの約束よ」
「レイジ、レミをしっかり守ってやるんだぞ」
2人が私とお兄ちゃんの頭を撫でながら言った。
「……どうしても行くのか?」
「……ああ」
「……わかった」
お兄ちゃんが諦めたような表情でうなずいた。
「チャンスは僅か。タイミングを間違えるなよ」
「お別れよ。レイジ、レミ」
2人が飛び出した瞬間、そこかしこからおぞましい雄叫びが響いた。
「レミっ、見るな!!」
「いやあああ!お父さあああん!!お母さああああん!!!」
それに合わせて、お兄ちゃんが腕で私の目を抑える格好で抱きかかえながら走る。
間も無く肉の切り裂かれる音、液体が飛び散る音がした。
こうして私達の両親は囮になって死んでしまった。
シェルターに着いてからも私はその日ずっと泣き続けた。
お兄ちゃんが頭を撫でてくれたのを、その手の感触を今で覚えている。
後に常連となるケーキ屋のお姉さんも一緒になって慰めてくれた。
この地獄を生き延びる事が出来たら、絶対食べに行こうって心に決めたっけ。
お兄ちゃんもここで友達が出来たんだよね。
何でも趣味が合うとかですぐ意気投合してたっけ。
今日も彼との約束があるって出掛けて行ったんだ。
そしてこの日から対魔戦争終結までシェルターでの生活が始まった。
最初の数日は食事が喉を通らなかった。
豊富とは言えない備蓄食料を生き残ったみんなで分けながらつつましく生きた。
私達と同じように家族など親しい人を失った人も大勢いた。
お兄ちゃんはよくお腹いっぱいになったって言って食料を多く分けてくれた。
そうやってどれくらいの時間が過ぎただろうか……
「生き残っている人はいますか!!?」
突如シェルターのふたが開き、日光と共に男の人の声が入ってきた。
魔獣達が街から去って行き、対魔戦争の終わりが告げられたのは食料が完全に底をついてから3日後の事だった。
この日までの生活で衰弱死したお年寄りがいた。
私達のように魔獣に親を食べられた挙句、3日間の空腹に耐えられなかった子供もいた。
私達は軍の人に救助され『幸運にも』生き残る事が出来た。
幸運と言えば、私達の家も無傷だったのも幸運と言えるだろう。
しかし対魔戦争が終わっても、すぐに平穏な暮らしは戻ってはこなかった。
ライフラインや交通機関などが魔獣の被害を受けたため、街は今すぐかつての生活が送れる状態ではなかったのだ。
生き残った人達の何人かは街を去り、それと引き換えのように様々な人たちがやって来た。
普通こういった被災地は立ち入り禁止になると聞いた事があるけど、今回の場合国中が被災地のようなものだし政府や軍も魔獣の攻撃でめちゃめちゃになってしまったから。手が回らなかったのだろう。
「へへへ、お嬢ちゃん。ちょっと俺達に付き合えよ」
数人の柄の悪い男が私を取り囲んでいた。
そう、『こういう人間』もこの街にやって来ていたのだ。
「い……いや……」
私は恐怖ですっかり動けなくなっていた。
「俺の妹から離れろ」
その時、いつも聞いている声が背後から聞こえた。
振り返るとそこには……
「お兄ちゃん!」
たった一人の肉親で、一番大切な人がそこにいた。
男達の1人が下品な笑みを浮かべて鉄パイプを構えながらお兄ちゃんに歩み寄っていった。
「すっこんでな『お兄ちゃん』。ケガするぜ?こんな風にな!!」
鉄パイプを振り上げるが、それより早くお兄ちゃんの右ストレートが男の腹にめり込んでいた。
カランカランと音を立てて鉄パイプが転がり落ち、男がお腹を押さえてうずくまる。
「そっちがその気なら、容赦はしないぞ!!」
敵が落とした鉄パイプを正眼に構え、お兄ちゃんが叫んだ。
「てめえらやっちまえ!!」
リーダー格らしい男の号令と共に残りの男たちがお兄ちゃんに飛び掛かる。
脇腹に、首にパイプを叩きつけ、槍のように胸を突いたりもした。
昔からお兄ちゃんは喧嘩が強かった。
昔私がいじめられた時もこうやって守ってくれたっけ。
あの時持ってたのは木の棒だったけど。
「く、来るな!!」
他のメンバーがあっという間に倒されるのを見た最後の一人……リーダー格の男が私を背後から捕まえ、喉元にナイフを突きつけた。
それを見たお兄ちゃんの表情がみるみる凍り付いた。
お兄ちゃんは無言で鉄パイプを地面に放った。
「よーし、そのまま大人しく……痛ででっ!!」
無防備に晒された男の腕に思いっきり噛みついてやった。
痛みで腕の拘束が外れ、ナイフが音を立てて地面に落ちる。
正直、気持ち悪かったので後で念入りにうがいをしたのをよく覚えている。
「レミ!伏せろ!!」
身をかがめるのと同時に鉄パイプが唸りを上げて私の頭上を通り過ぎ、男の顔面にクリーンヒットした。
男の鼻血と折れた歯の破片が宙を舞った。
「レミを可愛がってくれた礼は、まだ終わってないぞ!」
男は仰向けになって倒れるが、お兄ちゃんは更に5発ほど胴に追撃の踏みつけを加えた。
「怪我はないか?」
敵の頭目が完全に気絶した所で、両肩に手を置いて私の目をじっと見据えて聞いてくる。
「う、うん……」
「そうか……」
私の返事を聞いた時のお兄ちゃんの笑顔は今でも忘れる事が出来ない。
「あれ?私……寝ちゃってた?」
いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていたらしい。
時計を見ると、もうお昼近くになっていた。
今ではライフラインは復旧され、治安もかつてのようによくなり、街はかつての平和と活気を取り戻した。
「あれから本当に変わったなぁ……」
そんな事をつぶやきながら昼食用のカレーを温めようと立ち上がると、乱暴に玄関のドアが開いてそこからまだ帰ってこない筈のお兄ちゃんが血相を変えて駆けこんできた。
下を向いてゼエゼエと荒い息遣いをしながら、両膝を抑えている。
どこをどう見てもただ事じゃない。
そう思っていると落ち着いたらしいお兄ちゃんの口から信じられない言葉が発せられた。
「レミっ!大変だ!!街中に魔獣が溢れかえってる!!」
その瞬間、やっと戻りかけた私達の平穏な日常の全ては……あの忌まわしい対魔戦争の時のようにガラガラと音を立てて崩壊したのであった。